「突劇!?喜劇病棟」変遷

★2002年初冬。
山口大学演劇サークル劇団笛に在籍していた仲町響介(当時狂介)と人見叫三(当時狂三)が「笑い」に対するお互いの考え方に共鳴し、「笑い」に拘った劇団があってもいいじゃないか、と奮起。代表仲町・代表補佐人見の師弟タッグのもと、間もなく山口の個性派学生演劇人を召集し「突劇!?喜劇病棟」を結成。第1回公演「Control~コント・ロール~」で旗揚げし、舞台ならではの「笑い」の旋風を巻き起こした。


★2003年春。
お互いに第2回公演を強く希望しながらも、大学を卒業した代表の仲町が就職の為に単身福岡へ。
一方山口では団体の自然消滅を阻止すべく代表補佐の人見を中心に活動は継続。


★2003年夏。
大学3年の夏休み、人見の初単独演出による第2回公演「Contribute-コント・Re・ビューっと-」を上演。
代表のアシストをもらうも、単独による構想の偏りを強く感じる結果に。
この公演より柳本教育(当時狂太)が正式入院し、喜劇「三狂」が誕生。


★2004年春。
山口から代表との連絡が途絶えたなか、「仲町さん、仕事辞めたらしいよ」という噂を風の便りで耳にする。山口に代表が帰ってくると代表補佐、勝手に思い込む。


★2004年夏。
第3回公演「離婚届-Re・コント・溶け-」上演。福岡から仲町もゲスト参加で駆けつける。
公演後、代表仲町が福岡で新たに喜劇病棟を立ち上げる計画を持っていることを代表補佐人見に告げる。福岡に代表補佐がやって来ると代表、勝手に思い込む。


★2005年秋。
その後も山口で定期的に人見を中心とした公演を重ねていた折、喜劇病棟@ふくおかを結成したとの連絡が代表より入る。すでに大学中退を決意していた人見、山口を離れるべきかどうかで大いに揺れる。


★2006年元旦。
朝のファミレスにて三狂会議。結局山口と福岡、2つの喜劇病棟が協力しつつもそれぞれの地で活動を展開していく方針を選択する。
なお、「狂」という漢字はメディア受けが悪いとの仲町の判断により、三狂そろって改名。


★2007年春。
5年目に突入した喜劇病棟もOB・OGの山口離れが顕著となり、深刻な人員不足に陥る。
打開策としてフレッシュな大学生をターゲットとした大学サークル化を採択。
今まで曖昧にしてきた団体としての枠組みを固めるべく、規約の作成に着手。
この年度より、「舞台」における「笑い」を提供できるイベントを幅広く企画するエンターテイメント集団として新たな活動を開始する。


★2007年初夏。
大学サークルとして勧誘を行った結果、さっそく入院した若い患者に見せつけるべく、
第5回公演をCS赤れんがで行う。
喜劇病棟として久々の本公演ということもあり、刺激的な意欲作となった。
なお、この公演より会場に「黒の騎士団」なる不埒な一人騎士団が出現、
喜劇病棟内部で暗躍し始める。


★2007年夏。
喜劇公演以外のイベントを提供するエンターテイメント集団としての活動が具体化。
「笑い」のガチンコトーナメント大会「fish」の第一回が開催される。
総勢8名の戦士から文芸・芸能所属の神納雅樹選手が見事、初代優勝者となる。
このイベントにおいても随所に「黒の騎士団」の暗躍が伺えた。
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by comedy-hospital | 2002-01-01 00:00 | 喜劇病棟とは!?  

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